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2021.03.10 COLUMN

「話してもわからない人」が、世の中には存在している。

人は多様で、「誰もが共に働ける」というのは幻想である

個人的には、課長、部長、あたりの、いわゆる「中間管理職」は、会社の中で一番難しい仕事の一つだと思っています。

なぜなら「話してもわからない人」というのが、世の中にいるからです。

あるシステム開発会社であった一人の中途採用者の話です。

彼は、どう見ても能力不足でした。
おそらく、採用の失敗でした。

が、何事も「百発百中」はありえません。

「なぜこの人が採用されたのだろう」と首をかしげてしまうような人が、ときおり、会社に入ってくるのは、どうしても仕方のないことです。

だが、その尻ぬぐいは、採用を担った人物、つまり人事と本部長/社長ではなく、末端の中間管理職が担うことになります。

彼も、そんな事例の一人でした。
「期待の新人」と聞いていたのだが、配属されて1か月も経たないうちに「期待の」とは程遠く、単なる「お荷物」だったことが判明しました。

良いのは、採用を騙せるほどの、しゃべりだけ。
ミスが多く、最低限のルールも納期も、守れない、一言でいうと「だらしない人」だでした。

当然、お客様を任せることもままならず、先輩・上司がつきっきりで面倒を見なければなりませんでした。

だがもちろん、一旦雇った以上は、「戦力化に全力を尽くす」のが、会社としての筋ではあります。
先輩・上司たちは彼を何とか戦力化するために、様々な策を講じました。

その日の仕事の反省会。
成果品のレビュー。
業務の割り当ての工夫と標準化。
モチベーションへの関与。

だが、それであっても能力的に「平均レベル」にはほど遠く、
良くて、並みの水準になるまで2、3年は掛かりそうな見通しでした。

そして、最初の人事評価の時期がやってきました。

もちろん、彼の評価は最低ランク。
「求められている成果に対して、かなり不足している」という評価でした。
あらゆる客観的な数値も、それを示しています。

ただ、成績の悪い人への対応は、慎重にせねばなりません。

・評価のほとんどは、能力や期待ではなく、客観的な「成果」で決まること。
・昇給・昇格は、成果をもとにした、相対的なものであること。

こういった制度の彼への説明は、慎重に慎重を重ね、繰り返されました。

そして、今期の評価を彼に説明したのち、上司は来期の活躍に期待しているが
「今期は昇給なし」
だということを、彼に丁寧に伝えました。

ところが、彼は納得しませんでした。

評価は一部の隙もないものであったし、成果は客観的な基準に照らし合わせて、明らかに平均よりも劣っていたが、彼は「これだけ頑張ったのに」ということでした。

もちろん、彼の上司は、明らかな能力不足の中、彼がそれなりの努力したことを知ってはいました。

だが、評価は評価。成果は成果であり、彼を特別扱いするわけにもいきませんでした。

しかも皆の努力の水準からすれば、彼の努力はよく言って「並み」でした。
彼にかけた周りの労力から考えれば、トータルで見て彼の存在は会社にとってまだマイナスでした。

もちろん、以前から「目標を達成しなければ、昇給はない」ということは、社員に伝えられていました。
そして、彼も入社に際して、それを知っていました。

だが、それが現実になるとは思っていなかったのでしょう。
あるいは、会社を甘く見ていたのかもしれません。

「昇給なし」は、彼に大きなショックを与えたのでした。

そして予想通り、それだけでは終わりませんでした。

しばらくして、「彼が会社の悪口を言っている」との噂が流れ、それが、彼の上司の耳にも入ったのでした。

上司は当初、「昇給なし」がショックであったことを知っていたので、「言わせておいてよい。誰でもそういう時期はある。」と、しばらくそれを静観していました。

が、一人の部下から、その彼が「上司は好き嫌いで評価している。俺は嫌われているので、評価が低かった」と言っていると聞き、これは捨てておけない、と、彼を呼び出しました。

上司は事実確認をし、それが事実であると知ると、
彼にこう告げました。

「好き嫌いで評価している、というのは事実無根だ。会社は制度に従って評価をしているのであって、この成績では昇給できないのは当然だ。
会社に対して批判的な意見を言うのは構わないが、ウソはやめてほしい」と要請しました。

すると、彼もこう言いました。
「事実無根ではないです。だって、わたしを嫌っているでしょう。」

だが、上司は言いました。
「好き嫌いを述べた覚えはないし、たとえ嫌いであったしても、現在の評価制度は、好き嫌いと関係がない。」

しかし、彼は上司の言うことに無関心でした。
「頑張ったことに対して、適正な評価をしないのは、おかしいと思う。」

上司は言いました。
「頑張ったことは認めるが、評価とは別の話だ。それは前にも説明したはず。開発職ではなく事務職であれば、「頑張り」も、ある程度は評価の対象になるので、事務職に転属したらよいのでは?」

「事務職は希望ではありません。」

「ならば、制度には従ってもらう。」

彼は不承不承ながら、それを聞き入れたように見えました。

ところがその後、再び上司のところへ、問題が持ち込まれました。
今度は新卒の新人たちからの苦情でした。

内容を聞くと、例の彼が「こんな会社辞めたほうがいい。おれももうすぐ辞めてやる」と、良く言っているとのことでした。

新人たちはそれを聞いて呆れており「こんな人を放置してる会社はどうなの」とまで言う人も出ているということでした。

上司は新人の「会社の悪口を許さない」純粋さにも若干の怖さを感じたが、さりとて、これを放置するわけにもいかず、再び彼を呼び出して、事実確認をしました。

「こんな会社辞めたほうがいい、と言う発言を、いろいろな人の前でしていると聞いたのだが、事実か?」

すると、彼は言った。
「そんなことは言ってません。」

「しかし、複数の人から、君がそのように言っていると聞いた。」

「言ってません。」

「心当たりもない?」

「ありません。」

上司はあきらめて、彼に告げました。
「わかった。おそらく、誤解を招くような発言をした可能性があるので、十分注意してほしい。」

彼は何も言わず、そこを立ち去った。

その後しばらくしてまた、上司のもとへ彼に対する苦情が来た。
今度は彼が、「上司から、会社批判をするな、と言われた」と言いふらしているらしいとのことでした。

「またあいつか」と、上司も半ば呆れてしまっていました。

だが、前回の「言葉に気をつけろ」という話が、そうとられてしまっていたのかもしれない。

とはいえ、その程度で彼を呼び出すのも時間の無駄だし、「言論統制」という言葉を信じる社員もいないだろう、ということで、上司は彼を例によって、しばらく放置していました。

すると、その後、複数の社員から
「あの人をどうにかしてください」という訴えがありました。

どうやら、事あるごとに「人の悪口」を言うので、周りをうんざりさせているとのことでした。

上司は当初、「悪口と思うなら、取り合わなければよい」と社員たちに言っていました。
しかし、話をよく聞くと、「あの人と一緒に働きたくない」という訴えもあることが分かりました。

さすがにこれは無視できず、上司は彼を呼び出しました。
これで、3度目です。

上司は、彼に言いました。
「こんなことを言いたくはないのだが、ネガティブな発言はほどほどにしてほしい。」

ところが彼は言いました。
「ネガティブな発言をした覚えはないです。私の発言がネガティブに聞こえるのは、私の問題ではなく、彼らの問題です。」

上司は、今度こそ本当に呆れてしまったようでした。
「この期に及んで、まだそんなことを言っているのか……もういい。行きたまえ。」

この上司は、いろいろな噂はあるが、まだ「彼は頑張れば、何とか戦力になるのではないか」という一縷の望みを持っていました。
だが、このやり取りで、この上司は彼に対して、もう時間を割こうと言う気を持てなくなってしまったのでした。

そして、彼はその数か月後、ひっそりと退職していました。

後になって、「私の何が悪かったのですかね」と、その上司から、私は意見を求められました。

その上司は言いました。
「正直、彼がきちんと仕事ができるよう、かなりの時間を割き、誠実に対応したつもりだったのですが。」

正直なところ、私にも正解はわかりません。
この上司がやったことには、特に不誠実な点はないし、できうる限りのことはしていました。

また、「彼」に対して高圧的な要求をしているわけでもありません。
その時の事情を鑑みて、やれることをやっていたはずでした。

だが、彼は結果として会社に揉め事をもたらし、そして、会社を去りました。
だから、ここから得られる教訓は、あまりないかもしれません。

だが、2つほど、何とか言えることもあります。

一つは、採用は本当に重要だということです。

従来の面接では、わずかな情報をもとに採用をせねばならないため、「実務能力」を判断することができませんでした。つまり新たな面接のやり方が必要だということです。

もしくは、試用期間中に、早めに見切りをつけるなどの意思決定を早くすることです。
人をクビにするのは嫌な仕事ではありますが、避けて通っても、それは結局問題の先送りにしか過ぎないということです。

そして二つめが重要ですが、「話してもわからない人」が、世の中には存在しているということです。

誰でも話し合える、誰でも戦力化できる、というのはなく、企業とそこで働く人の能力には限界があるということです。
だから、中には「話し合えない人」がいるのも事実であり、それを中間管理職が気に病みすぎることはあまり健全ではありません。
それは単に「運が悪かった」というだけのことです。